生きるということ
第29話「生きるということ」 - 運営部 南 和浩 –
2025年、新年初回ブログを担当することになりましたクリニックの翁こと、運営部・南です。
昨年末に、私がかつて師事していた空手師匠の「感謝の集い」に参加しました。師匠は現在、末期がんで闘病中。一昨年暮れに余命3か月の宣告を受けたものの、強靭な生命力で仕事に復帰され、1年が経過しました。そして有志の方々の尽力で、この集いが実現しました。
出席者は200名以上で、県外や海外からも参加者があり、師匠のこれまでの生き方と影響力、人間力を改めて思い起こし、感謝する機会となりました。
かつての空手家の面影からは身体も細り、体調も心配されましたが、声こそ少し弱ったものの、その眼差しは変わりなく、武道家としての眼力と人としての器の大きさを感じました。「人間いつかは必ず死ぬ、いつ死ぬかはわからない、だから今日を精一杯生きる、過去は変えられないが未来は作れる。・・・」 聞きながら、自分の人生を振り返り、師匠の言葉や考え方によって何度窮地を乗り越えたかを考え、思い出し、自然と目頭が熱くなりました。
師匠との出会いは今から35年程前。私が30手前で師匠は12歳上。格闘技通信という雑誌に、長岡出身の空手家でタクラマカン砂漠を踏破し、参加した老若男女を全員無事に帰還させたとの記事を読み、興味を持ちました。直接、当時の市内新町のご自宅に押し掛けて話を聞き、一気に引き込まれ惚れ込み、その場で会社の新人研修講師をお願いし、そして空手を習い始めました。
その空手は大学時の強さを求めるものと異なり、人間のあり方を考えさせられる鍛錬でした。そしてこの時、師匠の新人研修講演テーマは「生きるということ」。タイ・カンボジア国境での難民救助医療団活動やタクラマカン砂漠の踏破についての話は、極限環境における人間性や生き方について考えさせられるもので、空手を通じて教えられた対峙する相手との心の在り方と併せて今でも私の思考回路に埋め込まれた重要な情報です。
毎週、稽古後は市内神田町にあった居酒屋で反省会を行い、そこで師匠から様々な海外諸国の話、人間関係、国際関係、武道、心、生き方などについて聞く時間は学びの宝庫でした。仕事が忙しいと理由をつけて3~4年程で弟子を外れましたが、教えていただいたことは、日本でもアメリカでも公私にわたり支えとなりました。
この感謝の集いでは、皆さんが温かい気持ちになれましたし、私もこれまでの師匠の教えに対して心から感謝すると同時に、師匠ほどは無理にせよ、今後も胆力と人間力を高めながら、家族を大事にし、少しだけ世の中の役に立つような自分らしい生き方をしようと誓いました。
それにしても、昨年春に街で偶然出会った師匠が「南さん、久しぶり!今度飲みに行こうよ」と飲めない体で誘ってくれたのに、私も飲めない体になった為か、ついつい積極行動をせずに実現しなかったことだけは悔やまれます。チャンスとタイミングの大切さをまた教えられました。機会を逃さず、今年も良い一年にしたいと思います。