人生の扉を開けつづける
いつも、ありがとうございます。
3月10日に発表しました通り、2025年3月31日をもって、医療法人メディカルビットバレーの理事長を退任する運びとなりました。4月以降は顧問として医療法人に関わりながらも、マネジメントビットバレー株式会社の代表取締役社長として、長岡の地で実践してきた「新しい地方医療の形」を全国へと広める活動を進めてまいります。
突然の発表で驚かれた人も多く、方々から経緯を問われる機会が多かったため、今日はここで理事長退任の背景についてお話させていただこうと思います。
私が医療業界に進路変更した理由
メディカルビットバレーを設立し、エールホームクリニックを開院した2020年から、正確にはそれよりも以前から、いつかは医療法人を後継に任せ、私は次のステージへと飛び立つ心づもりを内に秘めていました。今回理事長退任を決めた理由は、私が当初より必要性を述べてきた「医療と経営の分離と融合」に関して一定の目途がついたと判断したからです。医療と経営はそれぞれのプロフェッショナルが役割を分担し、信頼し高めあう相互関係が必要であると考えています。ここメディカルビットバレーには双方の専門人材がしっかりと根付き、よい相互関係を築くことができつつあります。道のりは紆余曲折あるでしょうが、ポジティブに前進してほしいと願っています。時を同じくして、私自身も新しい多くのご縁と大チャンスに恵まれ、次なるステップに踏み出す準備がいよいよ整ったと感じています。
話は今を遡ること20年前、私が医療業界を目指した理由につながります。当時からこのままでは地方医療の破綻が避けられないことを予見しており、私が医師を志したのは、それを回避するために地方医療に革命を起こし、地域を活性化させたいと考えたからです。少子高齢化社会を乗り切るには、それまでの医療制度とは違った新しい医療システムが必要なのは火を見るよりも明らかであり、ビジネスとして新しい医療システムを作ることができないか模索しました。けれども、医療業界はさまざまなルールや慣習で守られており、これを変えるには「内部からの改革」しかないとの結論に至り、医師免許の取得を目指しました。
「大型複合クリニック」で地方医療を最適化
31歳で弘前大学医学部に入学しました。地方の医療サービスが崩壊する危機にあるのを知り、制度疲労をきたしている医療業界を新しい形に生まれ変わらせる。そうすることで地方を守りたいという一念からでした。
医師として長岡赤十字病院で勤務する中でも、地方医療の新しい形を模索しました。特に、地域の中核をなす大病院が、外来に特化したサテライトクリニックを設けるというアイデアに取り組もうとしていました。それにより、地域の中核をなす大病院の経営効率化、医療サービスの最適化を実現しようという考えでした。
しかしながら総合病院に勤務しながらそれを実現することは難しく、新しい医療体制を作る第一歩を踏み出すため、2020年にメディカルビットバレーを設立し、エールホームクリニックを開院しました。私が思い描いたのは、いつでも誰でもをイメージし、シナジーを生み出す「大型複合クリニック」。内科や小児科、皮膚科など複数の診療科を持つクリニックです。病床を用意せず、外来に特化するため、病院ではなくあくまでも「診療所」。地域の中核病院と小規模なクリニックの間を埋める新しい存在として、今までになかった利便性を提供するとともに地域医療を支えていく役割でした。「まずはエールへ」です。
「CT」の共同利用というスキームの試み
あちらこちらで「大型複合クリニック」の構想を触れ回っていたところ、長岡駅近くで進められている都市再開発に参加しないかと声が掛かりました。そして、2023年10月に2院目となるエールホームクリニック長岡をオープン。
エールホームクリニック長岡では、「CT」の共同利用という手法も採用しました。これも地方医療最適化の取り組みの一環で、高額な機器を必要とするため小規模なクリニックでは難しい画像診断を、地域の中核病院に頼らずに実施できるスキームとしての試験的な取り組みでした。これからの医療は様々な分野との異次元な連携が必要かつ重要だと思うからです。これが、のちに「画像診断センター」の設立プロジェクトにつながります。
メディカルビットバレーを設立してエールホームクリニック長岡を開院した流れは、「大型複合クリニック」で中核病院と小規模クリニックの中間をカバーする構想を現実のものとする試みでもあります。おかげさまで、エールホームクリニック長岡は多くの地域の皆さまからご利用いただき、「大型複合クリニック」で外来を担当するという仕組みは十分に機能することが分かりました。
「長岡モデル」を全国へ
私は故郷の長岡での事例を「長岡モデル」と名付け、全国展開しようと考えました。それは医療法人の枠組みの中で実現するのは困難であることが分かっていたため、「大型複合クリニック」や「画像診断センター」などのスキームを、他の地方で展開したい人のサポートをするために、マネジメントビットバレー株式会社を設立したのです。
株式会社を通して「長岡モデル」を全国に広める。今、そのフェーズに入ったと判断し、医療法人の理事長を辞して、民間企業のトップとしての活動に注力することに決めました。これが今回の理事長退任の背景です。今回の決定は非常にポジティブなものであり、今後、長岡モデルを全国に広げることを通じて長岡のブランド力向上に寄与し、ひいては新潟県の発展に貢献することが故郷への恩返しだと考えています。
新たなスタート地点
医療に革命を起こすために作り上げた「長岡モデル」のスキームを全国展開する。確固たる志のもと、大きなビジョンを描いて、この5年間、それをひとつずつ実現してきました。今回の決断はゴールではありません。ただのマイルストーンであり、自由な発想で迅速に行動に移すため、人生の扉を開いたにすぎません。 次回はいよいよ理事長として最後の投稿です。私の仕事の流儀についてお話ししたいと思います。
澁谷 裕之(しぶや ひろゆき)
医療法人メディカルビットバレー 顧問
新潟県長岡市生まれ。
弘前大学医学部卒業。
2020年4月に医療法人メディカルビットバレーを設立。
家庭医療専門医、プライマリケア認定医。
好きな言葉は「即断即決即実行」、「適材適所」。